Suburb, Tours
ペテルゴフ
サンクトペテルブルク中心部から西に約29km離れた、フィンランド湾の南岸に面している。人口64,791人(2002年)。サンクトペテルブルク大学の2つのキャンパスのうち1つがある。歴史[編集]町が開かれたのは1705年、ピョートル1世による。1721年からは大理石の加工工場、1801年からは宝石の細工工場、1932年からは建築用石材の工場があった。その後は時計工場ができ、「Rocket」のブランド名で出荷されていた。第二次世界大戦中の1944年1月27日、ドイツ語を語源とする「ペテルゴフ」の町名は「ペトロドヴォレツ」(ロシア語: Petrodvoréts)に変更され、ソビエト連邦の解体まで続いた。そして1997年、元の「ペテルゴフ」に戻された。戦時中は前線となったため町は壊滅した。復興が終わったのは実に1990年代になってからである。経済[編集]現在、町内の勤労者の多くはサンクトペテルブルク市街の企業や組織に勤務している。観光[編集]下記の2つはともに「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」として世界遺産に登録されている。ペテルゴフ宮殿とその庭園[編集]ペテルゴフ宮殿(露)(ピョートル大帝の夏の宮殿)とその噴水庭園はロシアを代表する観光地のひとつである。ピョートル1世の命により当時の先端技術を投入されて建設されたもので、ベルサイユ宮殿の影響が見られる。歴史地区
ペテルゴフ町内のNew Peterhof地区には多くの歴史的建造物が残されている。以下はその代表的なものである。Cathedral of Peter and Pavel – 1904年に竣工した高さ60mの聖堂。ペテルゴフ宮殿「上の庭園」入口から徒歩5分。1935年に閉鎖されたが、1985年から1990年にかけて修復された。New Peterhof駅 – 1857年に竣工した屋根付の鉄道駅科学・教育[編集]サンクトペテルブルク大学による科学教育コンプレックス、海軍無線技術研究所などがある。2005年7月23日、ロシア連邦科学都市の第1号に認定された。交通[編集]航路[編集]水中翼船が、エルミタージュ美術館近くの船着場とペテルゴフ宮殿「下の庭園」の桟橋との間を往復している。所要35分。ネヴァ川が凍結しない期間(おおよそ5月頃から10月頃まで)に限って運行される。「下の庭園」が有料であるため、下船するにはその入園料が必要となる。鉄道[編集]町内にはバルチック線(Baltic line)のNew Peterhof駅、Old Peterhof駅、University駅の3つの鉄道駅がある。これらの駅からサンクトペテルブルクのバルチスキー駅までエレクトリーチカ(近郊電車)で所要約45分。運転間隔は15~30分。バルチスキー駅でサンクトペテルブルク地下鉄1号線バルチースカヤ駅に接続している。ペテルゴフ宮殿「上の庭園」入口からNew Peterhof駅まで徒歩30分(約2km)。路線バス[編集]サンクトペテルブルク地下鉄1号線Avtovo駅からペテルゴフ宮殿「上の庭園」入口まで路線バスで所要約60分。